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勝浦市の基礎知識

 
 
●What's 勝浦市
千葉県の南東部に位置し、都心から約75キロメートル離れています。市域は黒潮の北上する太平洋岸に面し、海岸線は景観と出入りに富んでいます。また北西部は房総丘陵に属する海抜150〜250メートルの丘陵性山地が広く分布し、平坦地が少ない地形です。

位 置 東経140度19分 北緯35度08分
海 抜 0〜268メートル
東西延長 14キロメートル
南北延長 12.5キロメートル
周 囲 67キロメートル
面 積 94.96平方キロメートル
人 口 20,450人(男10,303人・女10,147人)
世帯数 9,288世帯
(平成24年2月末現在)


 
●勝浦市 History

沿革(勝浦市の誕生)
 本市の往古は定かではありませんが、史伝によれば勝浦地区は勝浦郷と呼ばれ、天慶年間(983〜946)のころ上総権守興世王が支配していました。
 戦国時代には安房里見氏の武将・正木氏が八幡岬の勝浦城に入り一帯を所領していました。天正18年(1590)正木氏が小田原の北条氏と命運を共にして滅ぶと、かわって徳川家康の幕臣植村泰忠が3千石を領して勝浦城に入りました。泰忠は入封と同時に勝浦湾の北東岸に家臣団を中心と町屋を営みましたが、これが現在の中心市街の都市的起源とされています。
 植村氏は二代泰勝の万治2年(1659)勝浦湾北方の串浜字新田内台に新たな館を築いて移り、四代忠朝の天和2年(1682)加封されて1万1千石の大名となります。しかし六代恒朝の代の宝暦元年(1751)に改易となり、かわって大岡出雲守忠光が支配しますが、同6年に武蔵岩槻に移ります。現市域は天領、旗本領などに細分され明治維新に及びました。
 興津地区は興津郷といい、里見氏が要害の地に城を築きました。江戸時代は幕府の直轄領となり、妙覚寺に仙台藩取締所が置かれるなど、江戸と東北を結ぶ重要港として栄えました。上野地区は植村郷と呼ばれ、領主がしばしば代わりました。総野地区は農業が盛んで主に旗本領でした。
 明治22年町村制の施行によって勝浦村、豊浜村、清海村、上野村、総野村、が発足。翌23年、勝浦村は勝浦町に、清海村は大正10年興津町となり、勝浦町は昭和12年4月1日に豊浜村と合併しました。昭和28年の町村合併促進法により、同30年2月11日に4ヶ町村が合併して勝浦町に。そして同33年10月1日、千葉県18番目の市として誕生しました。(参考文献「夷隅風土記」)

 


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